狭い世界で生きている、という気づき

子育て

家事、子どものお迎え、習い事の送迎・・・子育てをしていると、毎日があっという間に過ぎていきます。
けれども自分の見ている世界は案外狭いな、とふと感じてしまう出来事がありました。

何気ない会話で感じた違和感

子どもの修学旅行の日、空港まで友達のお母さんが送ってくれることになりました。

お礼を言うと、「通勤途中なので全然大丈夫ですよ!」と言ってくださり、幼稚園の先生をしていると教えてくれました。

その瞬間、なぜかふと
「自分は狭い世界で生きているな」
と感じました。

ただ単純に、働いているのが偉い、とか優劣の比較ではないと思います。

そのお母さんは、教育現場という世界で日々働き、子どもたちや保護者、同僚と関わりながら過ごしている。
一方で私は、家庭や限られた仕事環境の中で生活している。

そのときにふと、
「関わっている世界の種類が違う」
ということに気づいたのだと思います。

自分の「接点の偏り」を自覚した瞬間

普段関わる人は、どうしても似た環境の人に偏りがちです。
特に子育て中は、その傾向がより強くなると感じています。

だからこそ、少し違うフィールドで生きている人と出会ったときに、新鮮に感じたのだと思います。

さらに深掘りしてみると、こんな思いもあったのかもしれません。

「本当は、もっといろんな世界を見てみたい」
「もっと違う人たちと関わってみたい」

これは劣等感を感じているわけではなく、「もっと世界を広げたい」という自分の可能性を感じているのだと思います。

「もっと広く関わりたい」という感覚

自分の中に、「本来はもっと広く関われるはず」という感覚が残っているのだと思います。

だから今の生活が悪いというより、
「少し偏っている」と敏感に感じ取ったのかもしれません。

あのときの気持ちを整理すると、こうなります。

  • 違う世界で働く人と出会った
  • 自分の生活圏の偏りに気づいた
  • 本来の志向(もっと広く関わりたい)を思い出した
  • それが「狭い世界にいる」という感覚になった

この感覚は、決して自分への「ダメ出し」ではなく、「少しずつ世界を広げていきたい」という前向きな気持ちだと感じました。

例えば、

  • 普段関わらない人と少し話してみる
  • 新しいコミュニティに顔を出してみる
  • 興味のある分野に小さく関わってみる

そんな小さな一歩でも、見える景色は変わっていくのではないでしょうか。

この感覚を忘れず、前向きに生きよう

何気ない会話の中で感じた違和感。
それは、自分の可能性に気づくきっかけでもありました。

幸いにも、私は二回目のPTAという新しい世界に飛び込もうとしています。
大変なこともあると思いますが、この経験を決して無駄にせず、次に繋げていきたいと思います!

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