同じような経験をした方に、私が自分の経験を綴ることで少しでも助けになれば……と思い、書くことにしました。
体験しなければ決して理解できない
当時はとにかく自分の気持ちを分かってほしいという思いが強かったです。
同じくらいの子どもを持つ人なら分かってくれるだろう、、、
子育て支援センターの人なら分かってくれるだろう、、、
などと思って話して、分かってくれないことにイラつき落ち込む……ということを繰り返していました。
誰にも分かってもらえない……
今思えば分かるわけがないですよね。
自分だってこんな経験をする前は分からなかったと思います。
娘がいない帰り道
病院へ行く時は確かに存在した娘が、帰りはいないということに強烈な違和感がありました。
病院までは夫が迎えに来てくれたのですが、空っぽのチャイルドシートの隣に座って、なんでいないんだろうとずっと考えていました。
さっきまでは確かに娘がいたのに。一緒に来たのに。
強烈な違和感
葬儀屋さんは夫が調べて連絡してくれましたが、
お葬式のお花はどれにするとか、、、
来てくれた人に出すお弁当をどれにするのか、、、
など、そんなことしてる心の状態じゃないのに選ばなければならないのがとても違和感がありました。
心に穴が空くってこういうことなんだ。
なんで娘がいないのか意味が分からない。
娘とのお別れ、周囲との尋常じゃない温度差
お葬式の時にいつまでもお別れができず、係の人に「お別れの心が決まるなんてことは絶対ない」というようなことを言われて、本当にそうだよなと思いました。
娘の骨を待っている時に来てくれた人たちでお弁当を食べたのですが、みんな談笑していて、それが信じられませんでした。
なんでこんな時に笑って話ができるのか、怒りを感じていました。
こんな時に笑えるなんて。
どうせみんな他人事なんだ。
周りの人がみんな敵に思えました。
担当の方が経験者だった。経験者の言葉は素直に受け入れられた
そんな時、さっきの係の人が話しかけてきてくれて、
「私の子どもは産まれてきた時脳がなかったんです。」と。
事情は違えどこの人も私と同じような経験をしていたのか、だからさっきの言葉がストンと受け止められたのか、と思いました。
この方も苦しみの中を生きてきたんだ……
そんな経験のない人の言葉だったらたぶん受け入れられなかったと思います。
やはり経験者の言葉は重みというか、雰囲気があったんだと思います。
現実を突きつけられる
骨になった娘と対面したとき、「あっ娘は本当に亡くなってしまったんだ」と現実を突きつけられた感じがしました。
骨を骨壷に入れる時は、少しのかけらも残さないようにしなきゃという思いでいっぱいでした。
現在
娘のことを忘れることはありません。というかいつも思っているという感じです。
周りの人が「思い出す」という言葉を使うことがありますが、「思い出す」というのは私にとっては全くしっくりきません。
「思い出す」のではなく「常に思っている」からです。
こういう感覚も、自分と周りでは違うなーと感じます。
また、ぼちぼち書いていこうと思います。
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