私が子どもを亡くした時に言われたことでとてもつらかったことの一つに「よかった探し」があります。
あまりにも衝撃的な出来事なので、なんとかしてなぐさめようとする気持ちからの言葉だったのだと、今なら思えます。
でも当時は本当につらく、深く傷つきました。
「子どもを亡くした」と伝えた時の反応
私が子どもを亡くしたことを伝えると、たいていの人は絶句します。
その後は「え〜……」と言ってそのまま去っていった人、何も言わず抱きしめてくれた人、涙を流してくれた人など、反応は様々でした。
そんな中、「……でも、もし寝たきりになっていたらそっちの方が大変だったじゃない」「お母さんの腕の中で亡くなるなんてよかったじゃない、親孝行じゃない」と言ってきた人がいました。
(この二つはどちらも同一人物ですが、誰かはここでは伏せておきます)
「ほかにきょうだいがいて、まだ良かったじゃない」
これも他の人から言われました。
気づかいから出た言葉だったのでしょう。でも、私は怒りしかなかったです。
「よかったことなんてひとつもない!!!」心の中で叫んでいました。
「子どもを亡くす」ことより「悪い」レベルのことがない
たとえば、交通事故に遭って骨折してしまったとき。
「骨折で済んで良かったじゃない」と言われるかもしれません。
多分それは、骨折よりも大変なこと(死んでしまう)があるからだと思います。
死んでしまうという最悪なことになるよりは、骨折でよかったと。
でも、子どもが死んでしまうより最悪なことは、もうないのです。
また、これが子どもではなく100歳近いお年寄りの場合だったら、また違うと思います。
「こんな年まで生きられてよかったね、大往生だね」「安らかに亡くなってよかったね」と言われてもあまり違和感なく受け入れられると思います。
たぶん、人が歳をとって亡くなるのは自然なことだからなんだと思います。
でも、子どもが亡くなるなんていうことは一般的に考えたら起きるはずがないことなのです。
自然に反するような最悪なことが起こってしまったのです。
仏教では、親より先に子どもが死んでしまうことを「逆縁」といって、全ての中で最も悲しくて親不孝なことだとされています。
まとめ
もし、身近に子どもを亡くした人がいるときは、どうか「よかった探し」はしないであげてください。
良かれと思ってかけた言葉が、その人を深く傷つけていることがあります。
何も言わず黙って話を聞いてあげる方が100倍マシです。
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