三女を亡くしてすぐと、しばらく日がたった後では、感じ方が違うのかなと思うことがありました。
子どもを亡くすドラマ

「あなたを奪ったその日から」と言うドラマ。見たことありますか?
このドラマはアナフィラキシーショックにより子どもを亡くしてしまう母親の話のようですね。
興味はありますが、内容を聞くと、
「私にはちょっと見れないかも・・・」
と思ってしまいました。
と同時にそういうふうに思う自分にもびっくりしました。
亡くしてすぐはあえて傷つきに行っていた

三女を亡くした直後は、あえて三女と同じ位の歳の子どもに近づいていこうとした時期がありました。
小さな子どもの世話をするような場面に会えて出かけたり。
「ショック療法・・・?」と言われたこともあります。笑
なぜそんなことをしたのか?自分でも分かりません。
普通だったらそういうのは避けようとするのが普通だと思いまよね。
今思うと、あえて自分のことを傷つけたかったんじゃないかなと思います。
「三女はとても苦しくて辛かったはずだから、自分も同じように、むしろもっと、苦しんで傷つかないといけない」
そんな気持ちになっていたんじゃないかなと思います。
なので、もし当時の自分だったら、このドラマを見ていたと思います。
実際に、当時は同じ体験をした人の本や、そういうストーリーのドラマを探して読んだり見たり、
SNSで探したりしていました。
苦しみと悲しみに溺れていたので、なんとかするために、
「この壮絶な体験の情報がもっと欲しい」という気持ちもありました。
時間の経過とともに心も変わるのかも

今、見れないと感じるのは、当時とは心境が変わっているかもしれません。
時間が経って、自分の心に上手に「ふた」ができるようになったような間隔です。
ドラマを見ることで、感情の「ふた」を開けてしまいそうだなと感じました。
本を読んだり、ドラマを見たり、SNSで情報を集めたり、同じような体験をした人の話を聞いたり、あるいは聞いてもらったりして、なんとなく自分の状況が把握できるようになったと思います。
「命日が近づくと気持ちが落ち込みがちになる」など、ある程度のパターンが把握できるようになってきたと思います。
スモールステップで進んでいこう

亡くした直後は、人前でもよく泣いていました。
勝手に涙が出てきていました。
今では人前で泣くことはほとんどなくなったので、それだけでも大きな変化だと思います。
悲しみがなくなったわけでは決してなく、悲しみと一緒に生きている感覚です。
寄せては返す波のように、少しずつ、少しずつ。
そんな気づきを綴ってみました。

コメント