【グリーフ】悲しみの最中に心が救われた話 

グリーフケア

子どもを亡くして悲しみの最中にいる時、いろいろな出来事がありましたが、心が救われた印象的な出来事をご紹介します。 

賽の河原とお地蔵さま 

次女が通っている幼稚園は、仏教系の幼稚園でした。ある時保護者会の集まりで、園長先生のが「賽の河原」の話をしました。 

園長先生
園長先生

三途の川のほとりでは、小さな子どもが石を積んでいます。

すると鬼がその石を崩すので、子どもたちは永遠に石を積み続けなければなりません。

子どもが親より先に死んでしまうことは『罪』なので、石を積み上げることでその罪を償わなければならないのです。

この話を聞いて、私は思わず泣いてしまいました。 

まっつん
まっつん

うちの子は親より先に死んでしまったけれど、なんでそれが罪なのか!

あの子は精一杯頑張ったのに!

罪なわけがない!!

園長先生にしたら、ただ仏教に関する話をしただけで、まさか子どもを亡くした親がその場にいるとは思わなかったのかもしれません。

しかしそれは私の心に大きな傷を残しました。 

その後、たまたま他のお寺に行く機会がありました。

その際お坊さんに、ずっと心に引っかかっていた「賽の河原」の話をすると、お地蔵さまのことを教えてくれました。

お坊さん
お坊さん

賽の河原の話には続きがあるんですよ。

お地蔵さまが、子どもたちを背中に乗せて、三途の川を渡ってくれるんです。

だから大丈夫ですよ。

まっつん
まっつん

よかった、お地蔵さまがうちの子を守ってくれているんだ。

私はその話を聞いて、本当に安心し、涙があふれました。

教会の牧師さん 

近所に教会があり、日曜日に子ども向けのイベントに何回か参加したことがあり、教会の牧師さんと顔見知りでした。

子どもを亡くした後、たまたま道でばったり会い、娘が亡くなったことを伝えると、娘と私たち家族のためにその場でお祈りをしてくれました。

そしてその後、ランチに誘ってくれ、私の話をたくさん聞いてくれました。

たいていの人は娘が亡くなったことを知ると、その話を避けたり知らないふりをしたりすることが多かったのですが、その教会の牧師さんは、ちょくちょく私のことを気にかけて声をかけてくれ、イベントなどに誘ってくれました。 

まとめ

なんとなくですが、仏教においては「死」は避けるべきものと捉えているような感じがありましたが、キリスト教においては「死」はあまりネガティブなイメージはないのかなと感じました。

(私は特定の宗教を信じているわけでもない典型的な日本人なので、宗教についてよく知っているわけでもなく、ただの主観です) 

とにかく、お地蔵さまの話を教えてくれたお坊さんと、教会の牧師さんに、私はすごく救われたというお話です。

もしかしたら宗教は関係ないかもしれませんね。 

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